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今年を振り返った簡単なブログ

※このページに限ってはきわめて個人的なブログですので、法務情報などのお得な情報は一切ありません。むしろただの感情の吐露でしかありませんから、読み終えても何も得られるものはないと思います※

2025年がもうすぐ終わります。

今年を振り返ると・・・何があったか、といっても正直ピンとこないくらい、いろいろな事があったような何もなあったような、不思議な年でした。

社会的な出来事としては、大阪万博や大谷選手の活躍といった話題から、夏の異常な暑さ、秋から冬にかけては熊の被害がニュースになるとか、高市新内閣の発足など・・・ニュース自体はいろいろありましたが、弁護士的には、育児・介護休業法の改正(4月・10月)、自己都合退職の「失業給付」緩和(4月)「拘禁刑」の導入(6月)などといった話題を取り上げるべきなのでしょうか。まあ、普段生活する分にはそこまで影響が大きい話ばかりというわけでもなく、世間の目もあまり関心が向かっていない印象を受けますね。(ほんとうは、大げさに言えば法律の基礎がガラッと変わるほどのインパクトがある、ある意味では歴史の転換点ともいえる話・・・らしいですが)

個人的には、話題になっている生成AI(chatGPTtとかGeminiとか)が大幅に能力が上がって、世間にも浸透してきたことのインパクトが強く、きっと、これから生成AIをめぐる紛争が増えるんだろうなと、予想しています。生成物をめぐる著作権の問題とか、権利の帰属とか。

これは私が法律相談のときによく言うのですが、スマホのアプリでのチャットのソフト(あえて特定のサービス名は伏せます)って、人間にとってまだ順応しきれていないんじゃないかというのが私の持論です。

考えてみれば、人間がサルからヒトに進化して何万年たったのか知りませんが、手のひらサイズの端末で、こんな強い光とともに膨大な情報を脳に送り込むツールが出てきたのって、歴史上でこの20年くらいだと思うんです。我々のご先祖様が洞窟の壁に文字を刻んだり、大陸から渡ってきた漢字を日本風にアレンジして万葉仮名にしたのも聖徳太子の時代頃でしょうから、全体で見ればほんとうについ最近の話でして、仮にホモサピエンスの誕生が30万年前だとして、人類の歴史を1年で表現したら、人類の誕生は1月1日、文字の誕生は12月25日、スマホやAIのある暮らしが始まったのって12月31日の23時59分らしいです。

しかも、それまでせいぜい土器でドングリを煮炊きしていた我々が、その竈の炎よりも強い光を目の前で浴びながら、およそ洞窟の壁画や木簡では想像できないほどの情報量を無制限に浴びるなんていうスタイル、たぶん人間の仕組みとして想定されてなかったんじゃないでしょうか。

これを私の仕事の関係でいえば、チャットツールで離婚の協議とか事件の交渉とかしてもいいですか、って聞かれることが多いのですが、人間はそんな物理的・情報的なストレスに耐えられるように作られてないと思うんです。仮にスマホの画面を見て自分は大丈夫と思っても、脳は想像以上にダメージを受けていますし、そんな中で考えたことをこんな小さな画面に作文して、それを相手が「作者の考え通りに」理解できるかというと・・・書き手、読み手双方の国語の力が高くないと、どちらにしてもどこかで行き違いが起きるという、人類にはまだ早すぎるツールな気がしています。

そこに来て生成AI。たぶん事務能力的にはとっくに生身の人間を超えていて、ただ、たまに噓をついたりして困らせたり、世界中の情報をいくつかの会社が独占しつつある中で、いま、たぶん30万年の人類の歴史の中で誰も経験したことのない特殊な状態、あるいは過渡期に入っているような気がするんです。

普段の生活の上ではとても便利ですし、いまやスマホも生成AIも生活に深く入り込んでいて、使いこなすぶんにはいいのですが、新しい機械を手に入れると新しいトラブルを起こすというのが人類の歴史でした。体感で覚えているものでいえば、ネット黎明期のあのカオス状態などは身近なところでしょうか。さて、既に人知を超えたAIが、どんなトラブルを起こして、そのとき人間はどう対処するのか。そして、まだ知らない新しいトラブルが起きた時に、法はどれだけ力をもって人を救うことができるのか。

壮大なドラマのような書きぶりですが、たぶん、新しい技術が進化しすぎたときに、社会がどういうルールを提示できるか、人の尊厳を守りながら新しいツールを使いこなせるのか、それとも人がツールに振り回される存在に成り下がってしまうのか・・・というのは言い換えれば、法の支配や人権そのものが試される時代になるんだろうな、と、漠然と思っています。

まあ、AIの法規制とか、たとえば情報開示に関する手続きのこととか、そういった仕組みづくりはえらい人たちがやってくれるんだとは思いますが、こっちはついていくだけでも大変。というか、弁護士でも知らないことはたくさんあるので、本を開いて調べるよりもAIに聞いたほうが早いという事まであるのですが、そうなると、我々の存在価値ってどこにあるんだろう、ただ単に裁判所の手続きを法律上代理できるだけなのか?あるいは、AIにはない生身の肉体を持つ存在として寄り添う事なのか?それとももっとほかの独自性が求められるのか?と、疑問に思うわけです。

おそらく当面は、世界情勢も地域社会も、様々な混乱が起きやすい時代であるのが続くのは間違いないでしょう。そんななかでも、なにか困ったことがあったときに、寄り添える第三者でありたい・・・と思いながら、日々活動をしていますが、体力や個人的な家庭の都合もあり、なかなか、若いころのように何でもかんでもフルパワーでというわけにも最近いかなくなってきました。ご迷惑をおかけしてしまっている方も少なからずいますし、まだまだ自分の未熟さ、力不足を痛感しながら生きる日々を過ごしています。

来年は、どんな年になるか分かりませんが、今年よりも少しだけ、いい年になるといいな・・・と思う次第です。取り急ぎのところは、年末の有馬記念がいい結果になるといいなと祈りながら、午年を迎える準備をしたいと思っています。

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